▼ある道院の拳士の話です。奥さんが『金剛禅読本』を読んで、その主張や活動に共感し、少林寺拳法のよき理解者になったのだそうです。ところがそれを喜んだのもつかの間、ある日、奥さんとの約束ごとを知らん顔して破ったところ、大層怒らせてしまい、「何が”半ばは他人の幸せ”よ。言ってることとやってることが違うじゃない!」とピシャリと言われたのだそうです。共感してくれている相手からのもっともなひと言に、言い返す言葉もなかったそうです。似たようなことは私にもあり、しかも拳士に教えを語る立場でもあるので、「言っていることとやっていることが違う」という指摘には、かなりへこみます。素直に反省して、前に進むしかありません。▼今号の「開祖法話」にもあるように、立場が人を成長させるということがあります。そういえば、少林寺拳法の普及当初、たとえ段位が低くても、開祖は本人のやる気次第で道院の設立を認めたこともありました。「道院長になってからが本当の修行だぞ」とも言っておられます。技が多少未熟でも、学科や話が苦手でも、周りから見られる立場になることで、人は自ずと成長を迫られることをよくわかっておられたのでしょう。▼「開祖法話」のタイトル「忽然と変わることに大胆になれよ」のように、開祖は拳士たちに「自分を変えていこう」と語り続けておられました。そう考えると、開祖がつくられた”人づくりの道”は、人の成長や努力を促すための仕組みや仕掛けがいくつも用意されています。武階や法階といった資格も、立場を証明するためというより、人として成長し続けるための仕組みとして用意されたものです。また、鎮魂行では「我らは…」と教えを唱え、「こうあるべし」とその教えを学ぶようになっています。少林寺拳法を修行する私たちにとって、その教えの一つ一つは、日々の行動を戒め、そして向上させる仕掛けのようなものです。大切にしたい教えだからこそ、見たくない自分の現実にも真摯に向き合わざるを得ません。ましてや、教えを説く側ともなればなおさらです。▼とはいえ、つい「しんどい、もういいや」と現状維持を決め込んでしまいがちでもあります。そこで、開祖のこんな話をもう一つ。開祖が『秘伝少林寺拳法』(光文社・絶版)を書き上げたときの話です。苦労して書き上げた原稿も、よりよい本にしようと出版社からは何度も何度も書き直しや修正を迫られ、ついにはさすがの開祖も「こんなもの、できるか」と半分やけを起こしたそうです。そんなとき、奥さんから、「七転び八起きの精神を教えている人が、3、4回突き返されたくらいでふてくされるなんて何ですか」と諭され、思い直してやり切ったとのこと。「うるさいと思いつつ、本当に恥ずかしかった」と述懐しておられます。今回の開祖の言葉を借りれば「迫られ、恥ずかしいと思い、まじめになろうとし、だんだんよくなっていく。これでいいじゃないか」です。たとえ”忽然”とはいかずとも、止まることなく、前を向いてこの道を歩いていきましょう。 (執筆 坂下 充)