▼一年前の一月、能登半島地震が発生し、多くの人たちが避難生活を余儀なくされました。もう一年が過ぎましたが、復旧作業は今もまだ続いています。そんな中、ボランティア活動だけでなく、被災した人たち同士が声をかけ合い、自分たちで何かできないかと、知恵と力を合わせて立ち直ろうとする姿もありました。人間の営みの弱さと強さの両方を、あらためて思わされます。ちなみに、「三人寄れば文殊の知恵」という諺があります。文殊菩薩というのは仏教の智慧の仏で、一人二人で考えてだめなものでも、三人寄れば足らぬところを補い合ってよい知恵が出る、という意味です。どの被災地にも、知恵と力がありました。そこには人と人との温かいつながりがあり、元気や勇気のもとがありました。▼金剛禅では、物心ともに豊かな生活というものを、「人間のすぐれた知恵の活用」と「人間同士の理解と援け合い」によってこの世界に実現しよう、と説いています。それには、自他共に幸せであることを求めるという心のはたらきが大切だとも説いています。そして、少林寺拳法は、そうした心のはたらきを得るための修行法でもあります。他人のことを押しのけようとする人、自分さえ良ければいいという人の集まりでは、いい知恵も力も一緒に紡ぎようがありません。元気も湧かないでしょう。自分のこともさることながら、他人やまわりのことも忘れない。いい知恵を出すにも、力を合わせるにも、結局はそれがないと始まらないのです。▼「少林寺拳法は、そうした心のはたらきを得るための修行法」だと書きましたが、では日々の他者との関係ではどうでしょうか? 例えば、護身の技術においては、敵意をもって向かってくる相手には、守者はとことん攻者の弱点や短所をつくように対処しなければなりません。ところが、日常で協力し合う人との関係はまったく反対で、相手の利点や長所を生かすようにしなければなりません。自分のやり方や考えと合わないからといって、相手のやり方や考えに腹を立てて責めてばかりでは、協力関係はつくりようもありません。技を身につけていく過程がそうであるように、相手に足りないものは自分が提供し、自分に足りないものは相手の手を借りる、そんなお互いのあり方が大切です。それはお互いのことを肯定的にとらえ合う関係づくりです。なのに「立ち向かうべき相手」に対しては、その強さや長所を気にしては口ごもり、「協力し合うべき相手」に対してはその弱さや短所を見つけては責めようとする、時にはそんなこともあるのではないでしょうか。自他共楽の「行」というならば、技の上達にしたがって人間関係づくりもうまくなる、そんな修行でありたいものです。▼さて、今号の「開祖語録」では「1プラス2が、4にも6にも10にもなる」、そんな人間関係をつくれるようになろう、と開祖は言っておられます。いうまでもなく、それは「不殺活人」の教えにつながります。少林寺拳法は、人を排除したり無用者あつかいするのでなく、人を活かすことを覚えていく道なのだぞ、と開祖は言っておられるのです。(執筆 坂下 充)